てーげーな私、海、空、さんごといいつたえ+あがっ

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平野の海

就職前の1981年夏にも平野に行った。平野の海はそれまでと変わらず迎えてくれたし、民宿に泊まっているメンバーが変わっても、みんな平野が好きだったように思う。殆んどプライベートビーチのせいか、何故か日焼け跡の無い人がいた。普通は水着の跡が有るはずなのだが(スッ○○ポンで焼いたとしか思えない)。民宿の子供達も大きくなって、僕も一緒に遊びからかったりできるようになった。朝の散歩や、泳ぐ位置を連絡するにもあの平久保灯台が目印になった。
不思議な事に、翌年就職した会社の先輩もこの時期に市内から日帰りで灯台迄、遊びに来ていたと聞いたことがある。僕も民宿に泊まっていないバンカラな数人の男性とすれ違った記憶がある。ひょっとしたら、1年後に職場の先輩になった人と出会っていたのかも知れない。と思うと、声をかけておけば良かったなと後悔した。
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平野の浜から平久保の灯台を遠くに見て
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平野の浜、この近くで僕はホラ貝を埋めた、もう24年経っているが誰か掘り起こしただろうか
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夜、ガジュマルの下で宴会である
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南の北の家、"The Northern House Of The South" とロゴの入ったTシャツを着ている民宿の男の子、たぶん3男だったと思う。
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ついこの間迄見知らぬ人だった者同士が海でジャレあっている
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教育実習に帰った母校(高校)の運動会で"The Northern House Of The South" とロゴの入ったTシャツを着て百足競争に出たのだ。
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by isld | 2005-09-29 21:58 |

イノベーション・ジャパン2005

今日はイノベーション・ジャパン2005を見てきた。パネルディスカッション"産学連携を促進する技術ロードマップの有効性とその活用"というのを聞いたが、同じ政府関連機関なのにNEDOの立場の方とJSTの立場の方とロードマップに関し、言うことが違い面白かった。今回、NEDOが経済産業省の受託を受け?ロードマップを作成した様ですが、JSTの方は、NEDO、経済産業省の努力と玉虫色の見通しから一歩踏み出したことを褒めつつも、マップから外れたオフロードの大切さを主張された。私はオフロードのイノベーションが経済に著しい発展を及ぼすとの意見に同意する。
でもこんな研究は研究者の死屍累々の上に成果が得られるケースが多いので、最近よく言われる成果主義には馴染まないと思う。成果主義で評価される事を望む人には金融業及び、その関連業種(ITの一部も含む)がお似合いだろうし、その方面に職を求めるだろう。それでは、日本の強みである製造業での人材枯渇につながると思うのは僕だけだろうか。アメリカの製造業は40年程前は強かったが、今ではアジアや中南米各国に負けているというのが実状だ。ポジションとして優遇されがちなMBAを持つ人材はくさる程或は、馬に食わせる程いても競争力の向上には役に立たっていなかった。アメリカに習えという経営方針や人事政策は見直して欲しいと思うのだが。
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by isld | 2005-09-28 23:17 | 科学

カラダの年齢チェック

今日、"体の年齢チェック"なるものを受けた。体組成計なるもので組成を調べ、それと身長、年齢より、実年齢と体の年齢の差がでる。合わせて、体重、BMI、筋肉率、脂肪率、内蔵脂肪レベルが算出される。
病気になって、入退院を繰り返しているので、運動不足とそれにもとずく肥満や、脂肪量、内蔵脂肪レベルの不適格を心配したが、何とか粘って実年齢に近い状態と適当な脂肪レベルをキープしていた。3年前に近所のジムに通って体脂肪率や、筋肉を鍛えておいたことが、今になって良かったみたいだ。
当時は、何を考えたか、ハーフマラソンに出たり、トライアスロンのハーフ+α(水泳1km, バイク20km, ラン5km)分をジムでこなしたりしていた。石垣島のトライアスロンの負荷には遠く及ばないし、筋肉モリモリなんてのには程遠いものの、一般人のレベルとしては、まあまあと思えるレベルになったと思う。24年前より、持久力は落ちていたかも知れないが、筋肉量は増えていたと思う。
こんなことで役に立って、「キンさん、ギンさん曰く」"うれしいような、かなしいような" である。

因みに、BMIは24、筋肉量は32.4%、内蔵脂肪レベルは9、基礎代謝は1640kcal、実年齢-体の年齢=1だった。ほぼ(ギリギリ?)一般の人レベルだった。
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by isld | 2005-09-27 22:48 | 科学

西表島

西表島のユースホステルでは希望者が集まって西表縦断ツアーを出していた。前日の縦断達成者は翌日の縦断予定者に縦断途中の山の頂上にはジュースの自販機があると言い伝える習わしがあった。西表の山奥に電線が来ているなんて誰も信用しないと思うのだが、真面目に言い伝えられる事が可笑しかった。
さて、我々の番(24年前1981年)はというと、悲惨の一言。山道に迷い舟着き場の近くに戻って、一晩明かした。私は何処で迷ったか判らないまま西表を離れたが、同行したメンバーでもう一回道に迷い、計3回目で縦断した方に、(就職後, 2年程後だろうか)東京で会ったら何処で迷ったかやっと判ったと教えてくれた。
縦断中、自然を楽しめた事は良い出になっているし、またあの時のメンバーと出会って、その後の話をしたいとも思っている。今、こんなことをしたら遭難だと大騒ぎになるのだろうか。
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同行した女性が身に着けていた帽子の上でとんぼが羽を休めていた。人が側にいても全く逃げない、人が近くに住んでいないから、人を恐れないのだろうか。
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マリウドでもカンピラでもない西表の奥にある滝(マヤグスクの滝?)、この地点では既に迷っていたらしい。滝に名前があるなら教えて欲しい。
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道に迷い、宿に帰るのをあきらめ集合写真を撮った。食事は抜きである。
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すっかり諦めて、川で行水中の写真
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縦断失敗の記念写真を撮りに三脚をセットしているところ
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夜は夜でみんなで話しながら写真を撮った。なかばヤケクソである。

ちなみに朝起きると、夜泳いでいた川では阪神タイガースの模様をしたウミヘビが泳いでいた、
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by isld | 2005-09-26 22:06 |

黒島

石垣島から黒島に向かった。当時(24年前)の黒島にはコンクリートで舗装された道路は無かった。相変わらず現地で適当に決めた宿が"みやき荘"だった。ここのおばあがこれまたてーげー(私は大好きです)で宿泊者の名前、住所は聞かずカレンダーに○印を書き込んで宿泊日数とか食事等を管理していた。尚、ワーリータボリは黒島のことばで"いらっしゃいませ"の意味である。ここの牛、馬といい、思い出深い宿だ。
島は砂利道で本土ではありえないとんでもない車が走っていた古き良き時代かもしれない。
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by isld | 2005-09-25 11:55 |

川平湾から平野

24年前の春の川平湾の写真である。川平湾から平野に向かい"南の北の家"という民宿に泊まり、平久保灯台や東に回ってハイキング、流れの中を泳いで大地離へと渡ったりして遊んだ。とりたてて広告など出していない民宿だったが、決まったシーズンに宿泊する常連さんがいて、僕はその常連さん達にシュノーケリングを教えてもらい、それが後にスキューバダイビングを覚えるきっかけになった。
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御存じ川平湾
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南の北の家で宴会、壁に絵地図が見える。当時1泊2食2500円だった。
近所に食堂(当時、コンビニなんて有るわけがない、今もあるかどうか怪しいものです)が無いので、昼食は抜きか民宿でおにぎりを300円位で作ってもらった。不便な場所だが海があるから十分楽しかった。
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南の北の家
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大地離に渡って、水中カメラ(たぶんニコノスII, or III)で撮ってもらった写真なのでボケている。
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丘の上から平野の海を見下ろす。
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犬はクマといい、民宿の主人が飼っていた。民宿の経営者夫婦は大阪出身の方で3人の男の子がいたが、80年台後半に民宿を売って関西に戻ったという葉書きをもらった。

全て24年前の写真で、もう2、3昔前なので、今とは全然違うかもしれません。違っていればそれはそれで面白いかもしれませんね。
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by isld | 2005-09-21 22:15 |

石垣島

2年半後の1981年3月に石垣島に上陸した。那覇から船に乗って約1日で石垣島に到着、初日は石垣市役所近くのユースホステルに泊まって、お風呂は近所の銭湯にいった。
具志堅用高記念館で、記念写真を撮って、遠浅で海の色のきれいな底地ビーチ、あの川平湾と回り、自分には縁の無い黒真珠を見て、平野に向かった。
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具志堅さんはJr.フライ級だったが、この写真ではヘビー級並の大きい体になってしまう。




底地ビーチ(24年前)は今まで経験した中でもっとも遠浅の浜だ。
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by isld | 2005-09-20 21:28 |

初めての沖縄(27年前)

僕が初めて沖縄本島を訪れたのは1978年10月、そう沖縄730(ナナサンマル)の3ヶ月後です。(沖縄730とは1978年7月30日に沖縄で自動車、バイク等が右側通行から左側通行に変わった事です。車線変更後、一般のドライバーによる事故発生が心配されましたが、結局はバスの運転手による数件の接触事故だけだったと報道されたことを覚えています。)
無計画の旅で何も知らずに那覇のユースホステルに宿泊していたら、運良く奥武山公園でお祭り(那覇祭り)が有り、昼は沖縄角力を見て、夜は花火と夜店でオリオンビールを楽しみました。筋肉質の力士?が最初から組み合い投げ合う沖縄角力を見て、文化が違う事を実感。(ユースホステルもてーげーだったのか、夜の外出と飲酒をお祭りだからと認めてくれました。)

その後、読谷村近くのユースホステル迄、ヒッチハイクで移動、乗せてもらった小型トラックのおじさんにはお昼のパンまで貰い、感激。以降バスとヒッチハイクと徒歩で沖縄海洋公園まで見に行った記憶が有ります。ユースホステルにはヤモリが壁にいっぱい張り付いて居たのですが、今はどうでしょうか。読谷村のバス停から3時間程歩いて残波岬に行きましたが当時はホントに何も無く展望台すら有りませんでしたが、海が大変きれいで感激した事を覚えています。読谷村のユースホステルで"八重山はもっといいよ"と同宿の人に教えられ、それが八重山に渡るきっかけになりました。

写真は26年程前に沖縄730のTシャツを着て夏山登山かけた私です。胸に、右上側赤、左下側青の三角が書いてあり、白い矢印が右から左に移っているデザインが判りますか。
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by isld | 2005-09-19 17:32 | 好きな物

イエローバンド

そう、ホワイトバンドではなく、イエローバンドである。どっちが古くからあるかは知らないが、イエローバンドは今年の7月にあのツールドフランスを7連覇したランスアームストロング(彼も癌患者であった)が主催しているLance Armstrong Foundationが、癌患者およびその家族のサポートをするサイトで"Live Stronge"を象徴するグッズとしているバンドです。
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8/19に上記のサイトに注文したら、約2週間で旅行中に届いていた。
1$/1個で最低10個から注文するので、今家には5個程余っている。

そのサイトの感心する所は、患者や家族を、科学的な治療方法や精神的なサポート、治療費用の事等々をアドバイスするサバイバーシップノート(分厚いファイルでした)を無償で(注文し)貰えることです。
今回、イエローバンドと同時に注文したファイルが届きました。惜しむらくは英語と言うところがネックです。同じ悩みを持つ方は一度アクセスされてはいかがですか。
また、患者の経験談も載ってます。(比較的若い人が多いのは、インターネットという媒体だからでしょうか)

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送られてきたノート、表紙と記載事例Cancer Survivor's Health Journal その他 Emotional Effects of Cancer等々
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by isld | 2005-09-18 10:44 | 病気

旅行を終えて感謝していること

オーストラリア旅行に際し日本国内で準備したもの
パスポート、ETA(電子ビザ)申請、航空券の手配、ホテル(ヒルトンケアンズシェラトンミラージュポートダグラスケアンズインターナショナル)、レンタカー各種ツアーの予約、普通ならここまでですが、私のような患者の場合は痛み止めとして使用している麻薬携帯輸出許可申請、同輸入許可申請
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ついでに、現地医療機関の電話番号(ケアンズには日本語を使える24時間体制の医療機関があります)の控え、主治医の英文レター(病状悪化時の説明用)
内容は主治医にお任せしましたが、私の姓名、病名と状況、使用中の薬と"ここに電話下さい"と主治医(病院)の電話番号が書いてありました。英語の達者な主治医に感謝です。
パスポートと主治医のレターを除き、WEB、電子メールと電話、FAXで処理して、旅行だけを楽しむことが出来ました。便利になったことを実感します。

私にとって、今回の旅行は残された貴重な時間を有意義に過ごす事の一環で、今まで、仕事に明け暮れていた為何もしてやれなかった配偶者への罪滅ぼしと思い出作りを兼ねた旅でした。最初、計画を作り始めた時、"海外で何か有ったらどうするのか"と心配していた配偶者も充分満足してくれた様で何よりでした。場所が良かった事と旅行社、医療関係者、厚生省の関係者の御協力によりいい旅になりました。

治療入院の合間をぬって出かけた旅行を終え、また旅行に出かけるべく治療を受ける気力が出てきました。同じ病気の方、ご家族の方も趣味やボランティア、あるいは仕事等で気力を充実される事が出来ると良いと思います。力を入れ過ぎずに自然体で少しでも長く生きたいものです。
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by isld | 2005-09-17 23:31 | 病気



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